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自由について久しぶりに考えた。
2009/08/28(Fri)
自由についてはずっと考えてきた

最初意識したのは30年前
そして15年前


もともと日本にあった言葉じゃない
明治のころに入ってきたと聞いた

だから日本人はわかっているようで
分かっていない言葉なのかもしれない

誰もが自分で考えなければならない
言葉の一つと言えるんじゃないか

自由になりたい魚の話
シュタイナーの話
自由自在という言葉

ある哲学者が言っていたけれど
自在という言葉はいい
日本人だからか私にはなじむ

自在カギというものがある
囲炉裏の火の上でやかんや鍋を
ひっかけておくあのカギのことだ

自ら在る・・・自在
自在でいたいと思う
自らを操って生きる
自在に空を飛びまわる鳥のように


さて自由の話の戻ると

人は誰もが自由に生きたいと思うもの
だけれどしがらみやら生活やらがあって
なかなかできないものでもある

自由のとらえ方も様々だろう

枠の中に自由があると考えると
牢屋にとらわれた人の自由とか
縛られているからこその自由とか
自由に生きるとか
自由な歌とか

何かとセットで自由はあるのかもしれない


よく「自由には責任が伴うのよ」という
責任のとれないことは自由ではなく
それはただのわがまま勝手ということだ

でも私は責任をセットで考えたことがない
むしろ「自由と孤独」はセットだと思う

自由でいことは人に理解されないことが多い
ひとりで何かを成さなければならなかったり
でもその孤独を抱えることができてこそ
自由でいられるのだと思う



でも最近もっと強く思うのは
人の自由と自分の自由がぶつかるとき
自分の自由だけを主張することはできないということ
人の自由も認めることができてこそ
自分の自由もあるということ

だからもっと人の自由にも敏感でありたい
自由な行動だけでなく
人の自由な想いをつぶさないように

自由な想いでしたこと
あるいはしてくれたことを
自分の自由のために無視することは
それはただの我ままだ

決して「自由」とは言って欲しくない
自由ではない
勘違いして欲しくない

相手の想いを尊重することを
忘れてはならない
ただそのために自分の想いを消すということではない

一番大事にするべきはやはり
自分の思いであり、自分の自由である
自分を大切にする人こそが
相手をも大切にできる人だと思う

ただ自分の自由を通すために
人をないがしろにするのはやはり
間違っている
なぜなら自由な想いを奪われたら
それは苦しいから

人の苦しさの上に自由などあるわけがない

相手の自由と自分の自由
どちらも成り立つことが
本当の自由の世界ではないだろうか

想いのまま走ることが
ときに自由に見えるけれど

それが本当の自由であるのかどうか
人の自由を尊重しているのかどうか
それを感じる感性が大切だと思う

自由には「感性」が伴う
相手の自由を奪わない「感性」が
今大切に思える

この感性を持ったひとこそが
本当の自由人であるかもしれない

自由自在に生きたい。
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コメント
- 自由は大変だ -
こんにちは。

俺は皆から自由に生きていると思われてる。
自由に生きるということは、楽に生きるとは正反対で、なんでも自分で選択、判断をして、実行しなければならない。
疲れるのは承知で、誰にも指図されたくないと粋がってる。
自分の判断ミスで痛い目に合うこともしばしば・・・
法律よりも自分の知識や考え方を優先した結果、刑務所に見事にぶち込まれた。
でも、いまでも後悔していない。
それは自分で選んだ人生を生きているから。
シャブのやりすぎで早死にしてもケセラセラ。
シャブで人に迷惑をかけたらすぐ止める。
アルコールでもそう。
いきなり他人に迷惑をかけるドラッグはタバコぐらいでしょ。
シャブは家計を圧迫する理由で止めてる。
1g=8万円はもはや金持ちのドラッグ。
そんな話置いといて。


>それが本当の自由であるのかどうか
>人の自由を尊重しているのかどうか
>それを感じる感性が大切だと思う

>自由には「感性」が伴う
>相手の自由を奪わない「感性」が
>今大切に思える

相手の心の変化が瞬時にわかってしまうたちなので、今は極力誰とも会いたくない。
近い友人たちは、俺のことをよくわかってるので、ほとんど俺の自由にさせてくれる。
俺にブレーキをかけられるのは妻だけだ。
相手の自由を奪わないようにするには放っておくのが一番だ。
相手の間違いを赦す。
そもそも間違いなんて誰が決めるんだろう?

俺を不自由にしてるのは国家そのものなんだけど、政権が変わったので、多少の期待はしてる。
問題は、国家や社会、世間に呑まれて自由を失ったことに気づかず、いらいらして他人を傷つけることだ。


2009/09/02 07:34  | URL | mossarin #LjveDjGg[ 編集]
-  -
mossarin~~

こんにちは。お久しぶり♪

もさりんが、何か言いたいだろうなって思ってたよ。
ブログはちゃんと見てるからね。

一度にお返事が書けそうもないので、一番下のところから。

国家。
国の家。
その小さい単位の、町も、家も。

国家と家を一緒にするのは、なんだけども、
守ってくれるものって、縛るもの、イコールでも
あるよね。

家がいやなら出ていけばいいけれど、
国はなかなかそうはいかない。
やっぱり残って、その場所を良くしていくことも
大切かなと思う。


>問題は、国家や社会、世間に呑まれて自由を失ったことに気づかず、いらいらして他人を傷つけることだ。

なるほど~~、本当にそうだね。
「いじめ」なんかもそうだと思う。

だから私は、子どもたちに、自分の価値を見出して、
ただ、そのままでいいってこと、ダメなところも
素敵なところも両方あって人間で、そのままがいいって
ところを、伝えたいと思っています。

では、いったんおしまい。



2009/09/02 13:18  | URL | はな #-[ 編集]
-  -
「自由を失ったことに気づかず」

ここがクリアに言葉にできなかったんだ。。。
ありがとう、もさりん。
2009/09/02 13:23  | URL | はな #-[ 編集]
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